インターネットには呪いのことばが散在していて、ときどき私にも届く。
このあいだ届いた文章に心を惹かれたので残しておく。公開されていた記事はもう消されて、キャッシュしかない。
” ストレス。なぜ世界は私の思い通りにならないんだ。
頭のカサブタ取れた・・・・・。痒かったんだもん。イライラする。そして今も痒い。
ブータン国王夫妻の来日を見ていて思ったことは、礼儀正しさの価値だ。礼儀が正しければそれだけでもういい人っぽく見えるし、優しそうに見えるし、好感度が上がる。
社会の一員であると実感することができない。
http://theinterviews.jp/kasa_sora/page/11こういう恵まれた人間を見ると、隕石でも当たって死なないかなーと思う。何の苦労も無く、とんとん拍子に人生が進んでいて、こういうおめでたい人間の裏に、どれだけ浮かばれない人間がいるのか。”
頭が痒いという身体の感覚からニュースのできごと、そこから唐突に私の記事が貼られていて、隕石でも当たって死なないかなー、という。この距離の感覚。世界(「世界はなぜ……」)・身体(「頭のカサブタ」)・社会(「ブータン国王夫妻の来日」「社会の一員であると実感することができない」)・知らない個人(インタビューズの私の記事)が、その人の頭と三十センチ離れたモニタの中にぜんぶ入っている。
“こういう人間のまわりには、無職だとかキチガイだとかカタワだとかは存在しないだろう。もしかしたら、この世にそういう人間もどきが存在することも、知らないかもしれない。ふわふわとした天国のような環境で、幸福感に包まれた均質でハイレベルな人間に囲まれ、その雲の下に地獄があることなど気がつかない。そう、住む世界が違うのだよ、わたしとは。
箱入り娘のように純粋培養で育ち、ぬくぬくと歳を取っていく。誰も恨まず、誰も憎まず、誰からも恨まれず、誰からも憎まれない。世の中は善意に満ちあふれていて、悪人などいない。そういう脳天気な奴こそ、通り魔殺人で殺されるべきだ。絶望の淵に追い込み、地獄へ突き落としてやるべきだ。死ぬ前に、己の思い上がりと過ちに気がつかせるべきだ。ありがたいと思え。
殺したい人がいっぱいいる。とりあえず地球人全員。
すごく頭痒い。”
彼女(筆者は女性であるようだ)のいう「人間もどき」と私がきわめて近い存在であることを教えたら彼女はどんなふうに思うだろう。箱入り娘!純粋培養!私はそのことばを大きい飴みたいに口の中で転がして、その人生を想像する。
私は誰かを恨み、誰かを憎み、誰かから恨まれ、誰かから憎まれている(そう、インターネットの向こう側からも)。ああ、けれども私はたしかにぬくぬくと歳をとっている。のうのうと生きている。私は明日の食事の心配をせず、人々によくしてもらい、好きな仕事をして好きな本を読んでいる。あまつさえそれを自分の力で獲得した誇るべき人生だと思っている。だから私はきっと通り魔に殺されるべきなのだ。自分の思い上がりと過ちに気づくべきなのだ。通り魔はどこにいるんだろう。私はよく知らない人と話すときいつもそのことを考える。彼/彼女がただの娯楽として私を駅のホームから突き落とすことを考える。なんとなく刺したいという理由でナイフを突き立てることを考える。いつも。誰に対しても。
呪いは通り魔からふたたび世界へと簡単に縮尺を変え、同じように簡単に身体に戻る。このスピード。この距離感の喪失。直径三十センチであるような世界。