February 2012
37 posts
ひとつのidでひとつのブログに公開することに照れみたいなものがあって、複製にまぎれて匿名性を獲得したいような気持ちがあります。自分でブログ立てておいて今更なに言ってるんだかって思いますけど。
なんかはずかしいんですよね。作文が好きなことがはずかしい。そのくせ読まれて喜んでるんだからほんとにもう、子どもか。
肘鉄以前の段階で停めて消滅させるほうがいいじゃん、どう考えても。肘が汚れない。
仕事で受信した悪意のあるメールを同報受信した関係者から、「これは……とても刺激的ですね……」という返信が返ってきてちょっとなごんだ。 悪意の発露に対して積極的に使いたいせりふ。でもこの返信をくれた人みたいな、上品な男性が言ったほうが効果的なかんじはする。
そのことを話すと後輩は真顔で「そんなのやさしく対応しないで肘鉄食らわせてやればいいんですよ、得意そうじゃないですか」と進言した。得意ではない。
夢を見た。 今までの人生で出会った嫌な人間ばかりを集めた集団で義理のお葬式に行く。私はその集まりがお葬式だということを知らずに呼び出されていて、ひとりだけ平服を着ている。
集団を率いているのは、訴えられるべきことをやらかしておきながら「どこかに届けたりしたらきみ、誰に迷惑がかかるかわかってるね?」みたいな脅しをかけてきたどうしようもない男で、私の服装を見てちっと舌打ちし、「買ってこい」と言う。
私は葬儀場の三軒先にある服屋に走る。喪服はどこですかと訊くと、たしかに知り合いなんだけれど思い出せない、胸がふさがるような嫌な感じを与える店員がにやにや笑って「ご自身で探されるのが普通ですよ?」と言う。
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その昔は、私の二本の腕だって、遠くに見える誰かに向かって全力で振るためにあった。そういう、無力にして良きものだった。
今となっては、それらはただの便利な生活必需品だ。まったく美しくない話。
最初に真剣に自殺を検討したのは七歳の時だ。台所で包丁を見てじっと考えた。これで首の青筋を切ればいいんだなと。でも切るのはすごく痛そうだし、明日のごはんが食べたいからやめた。食い意地が張っていたのだ。
今でもよほどひどい目に遭うと、死のうかな、と思う。でもそれもめんどくさいし、痛いのいやだし、明日やればいいや、と考えてやめる。たぶん長生きすると思う。
私の頭はどこかに大変な欠陥があるのだと思う。それがばれたら病院とか刑務所とか、何か楽しくなさそうなところに送られるような気がするから、私は他の人と同じようにいろいろなことが解っている振りをして毎日を過ごしている。
今だから言えるけれど、私は「内定取り消し」に遭ったことがある。
内定を取り消した機関に強く抗議したり、外部機関に訴えたりすることは、できないようにされていた。「してもいいけど、この業界にはいられなくなりますよ、あなたの親しい人も迷惑しますよ」というような脅迫をはじめとする、さまざまな手段によって。 へえ、安っぽい小説みたい、と思った。
目の前の老人がねちゃねちゃした口調で謝ったり宥めたりすかしたり脅迫したりしていた。実に馬鹿みたいだった。何もかも面倒くさかった。早く帰りたかった。人が住めるぎりぎりの古さの、六畳と三畳の続き部屋をぶち抜きにした、嫌いなもののすべてを排除した私の部屋に。私の繭の中に。 そのときに、深く理解した。私がこういう目に遭うのは、私がミジンコみたいに無力だからだな、と。
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現実にあったことでも、ちょっとしたきっかけで「思い込み(とか夢とか幻とか幻覚とか)だったかもしれない」と思ってしまうような、脆弱な自我の持ち主なので、そういう認識論的な攻撃は控えていただきたい。
誰にも恋をせず、誰とも同居したくない友人と、カフェで話をしていた。話題は私たちの共通の冗談である、「老後は孤独になりそうな人同士で寄り集まって共同住宅を造ろう」という話で、冗談というのは細部が命なので、私たちはごく真剣に諸条件を検討していた。六十五まで働いた後、パートタイムで七十くらいまで収入を得る可能性があるだとか、いやいや六十で退職する想定で安全側の試算をすべきだとか、介護を必要としない場合の一人あたまの家賃以外の費用はどの程度になるだろうかとか、土地はどこが良いだろうか、とか。
「いい気になってんじゃねえぞ。おまえらみたいなのが国を滅ぼすんだ」
私たちが顔を上げると、隣の席に座っていた若い男性が立ち上がってこちらを見ていた。そしてそのまま店の外に出て行った。 私たちはあの人にとって不愉快な話をしていたのですね、と私は言った。
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あなたは言葉を遣うのが人より上手いのだから、感情の昂ぶりのままにそれを振りかざして人を傷つけてはいけない。それはあなたが思っているような手近なカッターみたいなものじゃない。
あなたは誰より深く僕を理解している。だから世界でいちばん上手に僕を傷つける。ひたむきに、情熱的に、とても丁寧に。
それはかつて僕が湯水のように享受していた快楽や安らぎと、きっと同じものなんだろう。
春は、植物が動物に近づく季節だ。
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なにで読んだのか覚えていない。
女というのはフィギュアみたいに綺麗なものだと思っている内向的な男性と対面すると、ものすごく苛々して、現実を見ろ!私のこのすね毛を見ろ!とか言いたくなる。いや、ちゃんと処理してますけど。でもプラスティックみたいではないわけだから。
私の小じわを見ろ、私の皮膚の薄汚いしみを見ろ、運動不足で崩れただらしないシルエットを確認しろ。これが「女」というものの同族だと認識しろ。ばばあは女じゃない?ばかか。ばばあは女だ。消費したい対象だけをそのカテゴリに入れることは許されない。そんな「女」は存在しない。
同じ人間なのに、女だけが綺麗だなんて、そんなわけないじゃん。それは女を自分と同じ人間だと思ってないってことなのに、どうして罪悪感を持たないのか。女には人権はありませんとか習ったのか?どっかにそういう教育水準の国があるのか?じゃあその国から出てこないでくれ。
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できれば建前だけ言って建前だけ聞いて、すっきり暮らしたい。本音なんて液体っぽい、変質しやすいものは、あんまり取り扱いたくない。
不慣れな「自己改革による痛み」より、慣れ親しんだ「痛み」のほうがいいんだよ。それはもう純粋な意味で「痛み」ではなくなってるからかもね。
キスの偉大な理由はね、手軽なことだ。それに尽きる。一秒も要らないし、唇のほかに、何も必要ない。相手が死んでいたって可能。
彼女はたぶん、たましいがとけあうような、どこまでが自分でどこまでが相手なのかわからなくなるような、強烈な恋愛が好きなのだ。
その気持ちはわかる。あれは気持ちいい。すごく気持ちいいし、それを経験することでしかまかなわれないものもある。その結果、人として救われてしまうことさえある。
「あのとき恋をしていなければ、私は自分の欠落にとらわれ、より深くそこなわれていた」というケースは、そんなに珍しいものではない。なぜなら人が宿命的に抱えこんだ欠落はたいてい、欠落自身を再生産しようとするものだし、それを自分だけで、あるいは日常的でおだやかな人間関係でどうにかしようとすることは、かなりの難題だからだ。
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温泉宿に行く支度をする。
学生時代の友人四人で毎年小旅行をしている。ひとりが妊娠して出産して子育てをしているのでこの四年は彼女が住んでいる県に残り三人が集合している。子どもも泊まるので温泉宿がいちばんいい。どこを掘っても温泉が湧く土地なのであと十年ばかり同じことを続けても問題ないように思う。
旅行用のポーチが生島さんに入ったままなので取りだす。生島さんは私のキャリーケースの名前だ。なにしろ姿がいいし、軽くてタイヤもなめらかに回転するので重宝している。
なぜ旅行鞄を生島さんと呼ぶのかといえばもとの持ち主が生島さんという名だからで、この人は実にだめな人だったという。私はよく知らないのだけれども、なにしろ仕事ができて、美しいものをたくさん手に入れ、多くの女性を愛するのだそうだ。
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彼女は整理の済んだ棚からものを取り出すように手順良く話した。
あいらぶゆう、と口ずさんで、冷蔵庫の扉を開ける。口ずさんでいるのは僕だけじゃない。FMから誰かが一緒に歌ってくれている。ひどい歌だ。気の毒だから僕が一緒に歌ってやらないと。
歌をやめて煙草に火をつけた。僕の特技はくわえ煙草のまま美味しいオムレツを作ることだ。オムレツは胡椒を利かせたプレーンに限る。バターが少し足りなくてもやむなしとしよう。でもミルクはたっぷり入れなくちゃオムレツとは呼べない。
愛してるよ、と言うのは好きだ。口にするとても気分が良い。聞かせた相手もたいがい気分が良いみたいだ。だから僕は、わりとその言葉を濫用する。でも本当の意味を知らない。恋の最上級みたいに遣ってきたけれど、たぶんそれは間違っている。
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邪魔をしてくれないから、私ばかりが彼女を好きなんだと思っていた。自分ばかりが彼女に干渉することがひどくさみしかった。さみしくてもとりつかれたみたいにそうせずにはいられなかった。無理強いをして一緒に住んで、休日に引きずり回すように連れ歩いて、寝床を同じにして、それで、気が触れるほどさみしかった。
新しい靴ばかり履くからですよ私は忠告してあげたかった。その踵はとても痛そうだった。彼女は見た目だけで選んだものを手当たり次第身につけるのだと言っていた。そういうのはとても痛々しいと私は思う。
自分が触っている相手が男でも女でも、自分の身体の中に入っているのが人体のどの部分でも何か別の道具でも、本当はどうでもいい。私は他人と対峙したことが本当はない。目を閉じて私は自分を見ている。目を開けて私は相手の目の中の自分を見ている。気持ちよくしてもらう価値のある自分を観ている。気持ちよくしてあげられる価値のある自分を視ている。
「あのねアツシはね、エスプレッソにお砂糖をうんと入れるの、アツシはね、いつも。カナコさん、ねえ私それは美味しくないと思うの」
あたしは両手で持ったビスコッティをぽりぽり齧りながら、らぶらぶやなあ、と思う。単数形の愛はときどき薄気味悪いけど、らぶらぶは良いものだ。らぶらぶは、たくさんの色違いのジェリービーンズみたいな感じする。
栗鹿の子はべっとりと甘くて、私は自分と夫がかわいそうな子どもになったような気がする。可哀想にね、泣いては駄目だよ。ほらこのお菓子をあげよう。
贈り物をもらって、私はただ、あの人が私と一緒にいないときに私のことを思い出したことだけが嬉しかった。あの人はそういうことを少しもわかっていなかった。私がそれを欲しがっていると思っていた。鞄だの指輪だの、どこから見つけてきたの。若い女の欲しがるものを探してきたの。女のことなんて知らなくていいのに。私のことだけ知っていてくれたらよかったのに。
あの人は私の欲しいものはひとつもくれなかった。私が本当に必要なときに、一本の電話も、一日の日曜日もくれなかった。そんな人を、病気になったときに心の底から必要とするなんて、私は怖くてできない。
耳が痛い。聞こえない。
ときどきそういうことがあった。決まって深夜だから、仕事に障ったことはない。大切な約束を反故にしたことはある。どれだけ大切だったかは忘れた。
医者は原因がわからないと言う。自分で調べた。難聴は医学の苦手分野らしい。それだけがわかって、仕方がないから開き直った。方策がないのなら、考えないのがいい。
考えないのはいちばん苦手だった。
「お茶にしましょう」
急須を手にして、たぶん妻はそう言った。その微笑がほとんど普段通りにみえるほど、妻の意思は強靭だ。彼女の笑顔は売り物だった。七年前に買った。今でも飼っている。
「――さんにいただいたの」
茶菓を勧める手つきから、それを寄越したであろう顔を二つ三つ思い浮かべた。自分が返した微笑のよそよそしさを自覚する。彼は妻のような技能を持っていない。交わせない言葉を溜めこんだ苛立ちを隠すことができない。
妻は微笑んで唇を動かしている。彼は...
彼は暇だったので自分の誕生月を誕生日で割ってみた。割りきれない数なので、延々と桁を降りていくとだいぶ時間が潰れる。 計算すると悲しくなる。 計算というのはたいてい少し悲しいものだと彼は感じている。膨れ上がった脳が自分の肥満を嘆くのだろう。
お前はアライグマの糞ひとつまみ並の阿呆だな、ダニー!お前たちは最初に逃げたんだーーだから逃げ続けなきゃならないんだ!
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ジョン・アーヴィング、小竹由美子訳『あの川のほとりで』
「お家からじゃ、お空が見えなかったの」坊やはすすり泣いていた。
「お空が見えなかったのかい?」父親は問いかけた。二人は道路を渡って歩道へ行き、そして警笛が絶え間なく鳴り響くのを聞きながら家に入った。
「レディー・スカイが降りてくるかどうか、見えなかったの」とジョーはいった。
「レディー・スカイを探していたの?」父親はたずねた。
「あの人、見えなかったの。あの人、僕を探してたのかもしれないよ」
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ジョン・アーヴィング、小竹由美子訳『あの川のほとりで』
「ダイナマイトは持ってこないでね」ダニーは追伸としてつけ加えた。「花火だけにしてください」
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ジョン・アーヴィング、小竹由美子訳『あの川のほとりで』
深夜に帰宅して大量の玉葱を刻み半房のにんにくを包丁の背で潰しうちでいちばん大きい鍋にオリーブオイルと一緒に入れて揚げ焼きにする。玉葱を加える。焦げる寸前でかき回しながらセロリを刻み鍋に追加する。牛ひき肉に塩を振りその上でペッパーミルをごりごり回す。鍋をかき回す。にんじんをすりおろして追加する。鍋をかき回して牛ひき肉を加える。鍋を底からかき回してワインを瓶の半分入れてしまう。セロリの残りをぼりぼり噛んでグラスにワインの残りをどぼどぼ注いでビールみたいに飲む。あと口がずいぶん尖っているけれども口に入れた直後の香りは悪くない。醤油を何滴か落とす。台所の小引き出しをかき回してローリエをひっぱりだす。賞味期限を確かめてからローリエを一枚鍋に入れる。鍋をかき回す。トマト缶をふたつぶん加える。残ったセロリに塩をひとふりして噛む。ワインを飲む。鍋を底からひっくり返すみたいにかき混ぜる。残ったにんじんに塩をひ...
どちらがいいと問われて自由だと思う人と試験だと思う人、どちらも幸せになればいい。
何度も電話かけてきて「かまってもらえないからつらい」みたいな意味のことを延々と述べる人ってなんなの?「おまえは俺にかまうべきである」という前提を疑ったことはないの?自分の感情のことばかり話して恥ずかしくないの?それ聞いてたら私にビタイチ関心ないのがよーくわかるんだけど、相手にそれがわかるという想像すらしないの?
私に関心がないのに何を言ってるんだ、何度か食事に行ったら黙ってにこにこして話を聞く責任があるとでも思ってるのか、自分が関心を持てる人のところにかければいいじゃんか、と思ってたんだけど、もしかするとあの人たちは誰にも関心がないのでは。というか、彼らの世界には、「自分に対してなにがしかの役割を果たすヒト型の装置」があり、「独立した存在としての他者」はいないのでは。ひー。怖い。
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わたしはつねづね考えている。人生で何か大事な選択をするたびに、その人の一部はそこにとどまって、選ばれなかったもう一つの人生を生きつづけるのではないか、と。
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ジャネット・ウィンターソン、岸本佐知子訳『オレンジだけが果物じゃない』
故郷に帰った人間は、けっして無傷ではいられない、なぜなら、二つの現実のあいだで引き裂かれるから。
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ジャネット・ウィンターソン、岸本佐知子訳『オレンジだけが果物じゃない』
「男の真似ごとなんか」母はさも汚らわしいという風に言った。
本当に男の真似ごとをしたのなら、何と言われても仕方がなかった。けれどわたしにとって男とは、ただいつもそのへんにいる、面白くもないかわりに害もない生き物でしかなかった。これっぽっちも興味をもったことはないし、スカートをはかないという以外に、自分と何か共通点があるとも思えなかった。
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ジャネット・ウィンターソン、岸本佐知子訳『オレンジだけが果物じゃない』