January 2011
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どうしてあるとき鬼が現れて規範を越えてしまうのか、
– le7juillet (le7juillet) on Twitter
あと、tumblrはなにを書いてもだーっと流れていってすっきりするからやっぱり私の書きもの的な故郷なんだわあ、ってことも言いたい。
なにが言いたいかっていうと、最近やけに朝はやく目が覚めるから自分がおばあさんになってぼうっとしちゃうこと想像するんだよね、せつない。ということです。あと、介護職の友だちが「利用者さんを一律におじいちゃんとかおばあちゃんとか呼ぶの良くないよ。覚えればいいじゃん名前くらい。そんなの当たり前でしょ」って言ってて、なんてもっともなんだ!と思いました。ということです。
私は年をとることを想像する。たくさん年をとり認知機能がおとろえることを想像する。たとえば、
携帯電話がないことに気づいて探しまわり、身支度をしようとして服装がおかしいと悩み、職場に行こうとして失敗し、知っている誰彼に連絡を取ろうとして果たせず、おばあさんの私は徘徊する。不安に満ちて、惑乱してはいけないという矜持だけでせいいっぱいまともなふりをして、誰かが自分をつかまえに来るのを恐れながら待って、待ちながら逃げている。私は徘徊する。人生はすでに過ぎ去ってしまったのではないかという内容の、言語化に至らないうっすらした疑いあるいは認識を脳裏に貼りつけたまま。
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太陽が沈み、光の矢が海の方向をさして疾走するなかを、私は有刺鉄線に沿って歩きはじめた。みんなのところに行こう。それにしてもペッピーノはどこに行ってしまったのだろう。野原といっても、地面のあちこちに大小の建物の台石が残っていて、気をつけて歩かないと足をとられそうだった。小高いところには葭の群生があって、すこしまえから吹きはじめた風に青みがかった葉先がなびいていた。 大きな大理石のかたまりの上によじのぼって、ロサリオはエレナと海を見ていた。ペッピーノは?と訊くと、なんだ、いっしょじゃなかったのか、という。変だな、どこへ行ったんだろう。 なんでもないロサリオの返事が、ずっと私のなかでくすぼっていた不安をぼっと燃え上がらせ、どうすればそこから抜け出せるのかもわからないまま、私はぼんやりとあたりを見まわした。 なんの関連もなく、私の好きな「オデュッセイア」の一節があたまにうかんだ。
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夜おそくベッドで本を読んでいるときなど、先に寝ついてしまった彼が長いためいきをついたりすると、もしかして突然そのまま呼吸が停まってしまうのではないかと息をひそめて見まもったり、仕事の帰りが予定より数分でも遅れると、事故と行った具体的な理由を考えつく以前につかまえどころのない真空のなかを落下するような気分に襲われたりすることがあった。
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死人じゃあるまいし。 声に出したわけではもちろんなかったけれど、石の下にひそんでいたサソリのようにいきなりとび出したこのフレーズにもっとも狼狽したのは私自身で、はじめはしょんぼりし、それから自分でも手のつけられないほど不機嫌になった。もう、ペンションに帰ろう、という私をいぶかしそうに眺めながら、ペッピーノはゆっくり水から起きあがり、海水浴場のキャビンの方に歩き出した。
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