December 2008
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容姿や年齢や職業や財産ではなく、より直感的で原始的な動機で他者との関係を持とうとする自分が、実は嫌いだ。
社会的なラベルに無関心を示す自分を、わかりやすいラベルに群がる人々より上等だと思っているに違いないからだ。 裏打ちのない虚しい優越感。いやらしい差別意識。薄っぺらい自己愛。 ピラミッド的な世界観を持ってそれに忠実に行動する人のほうが、よほどのこと清潔というものだ。
男の人と仲良くなると、いつも罪悪感がある。
私は彼自身を全人的に愛している自信がない。私が執着しているのはその言葉遣いであり、その仕草であり、その匂いであり、その表情であり、あるいはその身体のパーツである。 そうして、ただそれだけなんじゃないか、と思う。 私は彼らを、ただフェテッシュに消費しているだけなのかもしれないと思う。
それだから私はいつも申し訳ないのに、彼らはそれを少しも理解しない。内実を少しも理解しないで、ただ私の恥の感覚だけを消費する。
私が通っていた小学校の前には怪しげな商売人がよく来て、子どもの小遣い銭を巻き上げていた。 ああいう人たちはどこへ行ってしまったのだろう。 あの人たちは夜の夢の名残りみたいなものを売っていた。色をつけられたひよこ。屋台いっぱいに括りつけられたガラスの風鈴。白い塊にストローを挿し、空気を入れながら鋏や小筆で形づくる飴細工。 買えやしないから、じっと見ていた。だからよく覚えている。 将来はああいう大人になろうと思っていた。屋台を引き、薄っぺらい夢みたいなものを作って売って、それで暮らしてゆくんだと。
片思いは、関係性を構築できない人がいい気分になるのに適した装置だ。
見ているのは実は相手ではなく、自分の願望の投影。相手との関わりが少なく、関わりを持つための行動を決して起こさないような「恋愛」は、多くの場合、自己愛の別名だ。
相手との関わりを求めて拒絶されるリスクや、関わって傷つくリスクをとらずに、欠点さえ自分の好みであるような理想像をうっとり眺めているのは、そりゃ楽しいことだろう。よくできたコンテンツを消費するように楽しいだろう。しかもそれは無料だ。
「イデアに接続するためのプラグ」みたいにされた相手は、それを察したらきっと不快だろう、という想像力さえ、その種の人々にはない。そんな身勝手な幻想の対象にされた相手の、吐き気のする不快感を慮ることはない。察する知性が相手にあるとも思っていない。
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一日一回外に出て、三日合わせて三回外に出た。
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– 善き魂の部屋 - 清い交際
自分のしている仕事について「そんなのは囚人が煉瓦積むくらい不毛な作業。誰でもできる」と言われたことがある。その言い回しが気に入って、よく遣っている。
もちろん、それは誰にでもできる。泥を掬い型に填め日に干して煉瓦を作り、それを運び、ただ積む。そのような作業を繰り返している。 測量をして設計図を引いたのが自分自身であれば、煉瓦を積むのはけっこう楽しい。ただ延々と積んでいけば成果が出るというのは、仕事のうちでもかなり素敵な類のものだ。
煉瓦を積んでいる土地に愛着があればなおのこといいけれど、そこまでは望まない。泥じゃないもので作れたらもっといいのかもしれないけど、泥でもいい。できあがった建物があんまり売れなくても、それはそれでまあいいやと思う。
そんなわけで私は今日も囚人のように粛々と日干し煉瓦を積み続ける。...
ada:
建物をスクリーンにして不思議な映像を映し出す超プロジェクター from HiroIro (via mediapicnic)
私は空間認識能力が極端に低くて、地図が読めたためしがない。 左右の概念は「ほくろのあるほうの手首が右」「腕時計の革(または指輪の金属、など。異物感を目印にするため、アクセサリは全部左につけることにしている)が当たっているほうが左」あるいは「文字を書こうとしてみて動くほうが右」というようにしか理解できない。だから「右」と言われると、頭の中で文字を書く。 映像の記憶も苦手で、十代の半ばまで映画や複雑なテレビ番組が理解できなかった。短時間では人の顔が覚えられないから、服装や髪型が変わると同じ人物だと認識できないことが多いのだ。 今でも人の顔を覚えるのはすごく苦手で、特に(どういうわけか)成人男性の顔は一度や二度会っただけではまず覚えられない。だから声や話し方なんかの特徴を駆使して覚える。...
大学生のころ、部屋に飲みにきた友だちが「本ばっかりやなー。ええね」と言った。「なんで」と訊いたら、「本読んで物識りになったら、いろいろ得するやん」という。 「私は役に立たないものばかり読んでいるんだよ。だから何も得をしないし、誰も褒めてくれない」と説明したんだけど、理解されなかった。 物識りになって得をするために本を読んでいたなら、どれだけ良かっただろう。そんな前向きな人生なら、どれだけ楽しかっただろう。 私はただ、読む以外にできることがない時期があまりにも長かったから、読む以外の楽しみがないときに読書に与えられた快楽が強烈すぎたから、それに依存しているだけなのだ。そういう惨めさを、そろそろ認めなければならない。...
わたしたちを遠くの国へ連れてゆく 本のような船なんて、ないのです。 意気揚々たる詩のページのような 駿馬なんて、どこにもいないのです。
– エミリ・ディキンスン (via natsumoto) (via shayol)
寂しいの嫌だな、と思って悩んでいたんだけれど、よく考えたら、今まで、寂しくなかったことがない。 生きてればいつでも寂しい。身体の中が空洞で古新聞を丸めたやつがぽつんと落ちててそれがカサカサいってるみたいに寂しい。誰と一緒にいようが、独りでいようが、同じように寂しい。生きているから寂しい。 それだから、もう寂しさのことはあんまり考慮しないでいろんなこと決めようと思う。
「「私は憎まれている」と言ってはいけない。それが事実か否かには関わりなく、言ってはいけない。言えば、あなたは憎むべき存在になるだろう。ほかでもない、あなた自身がそ...
– なぜ女性が性癖を公言すると憎悪が湧くのかわかった気がする - E.L.H. Electric Lover Hinagiku (via yuco) (via hanemimi)
以前、聴覚に障害がある人と一緒にいた。ふたりで出かけるたびに「サイレンやなにかが聞こえたら教えてね」と伝えられていた。 それで、そのころの私はよく「悪い音は聞こえないよ。世界は平和です」みたいなことを言っていたのだけれど、言うたびにとても良い気分になったことを覚えている。 つまり、世界には悪い兆候がなく、私は正しい認識を伝えることができ、目の前の人がそれによって安心して笑ってくれる、みたいな気分だったのだろう。
もちろんそれは錯覚で、でもとても満たされる錯覚だった。
人を許す方法について考えている。 謝るのが得意で、謝られるのが苦手で、「ごめんなさい」と言われると反射的に「いいんですいいんですもういいんですさよなら」ってなっちゃうんだけど、それで相手から逃げちゃうのは、許してないってことなんだよなあ。 傲岸な態度を取り続けてもらったほうがよほどのことラクだ。私に悪いと思ってるなら、被害者というラクなポジションをくれよ、とさえ思う。でももう大人なので、いつまでもそういう位置を求めるわけにもいかない。 どうやったら上手に許せるんだろうな。
彼は大いなる波に乗った。彼女は生きる活力を取り戻した。
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– 台無し日記 - 清い交際
おまえのために、ということばは、いついかなるときも、美しくない。 — 大島弓子
おたがいを知って八年目に
(よく知っていたと言っていい)
急に愛情がなくなった
ほかの人たちが帽子かステッキをなくすように
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– 即物的な物語詩 E.ケストナー (via hxsxy) (via vanhouten) (via ethica) (via sytoh)